大徳寺

大徳寺

山門は積石法(植石伏)の石垣を積まれたお寺

元は禅宗の林慶寺と言ったが天正16年岡山城主中村一氏が同寺を香花院と定め、小田原の大蓮寺の僧叡誉に寺の建造を依頼し、浄土宗に改め浄慶寺と号しました。その後、僧叡誉が家康の幼児の学問の先生だった関係から、関が原の戦いの後、この寺に来て寺領29石余と金品等を寄付し、家康の「家」と松平の「松」の各1字をとって「家松山」と号せしめ、堂の増築もさせました。上洛の際に水口に宿泊する時は大徳寺に宿泊をしました。慶長7年(1602)家康が当寺の2世岌誉の法話を聞き香木と法服を与え大徳寺と改めさせました。慶安2年(1649)三代将軍家光前例により寺領の永代免除朱印を与えました。江戸時代に2度、昭和に1度火災の難にあっています。
山門の前の石垣はめずらしい積石法(植石伏)で小堀遠州の作といわれています。門を入って右の鐘楼前にある石は、家康が腰掛け叡誉上人といろいろ話し合ったと伝えられています。また境内左隅に大きな五輪塔は第17代僧光誉が刑死者の霊を憐れみその冥福を祈ろうとして弘化元年(1844)に建立したもので「世に尽くす甲賀の民のまごころのかたきしるしの石のあららぎ」と詠まれています。
なお、水口岡山城主長束正家と正妻栄子姫の遺児は、仏門に入って大徳寺の3世の還誉上人(岌閑)に栄進し、北脇に栄照寺を建て父母の霊を弔ったといわれています。

甲賀市水口町本町三丁目3番46号
0748-62-0077
新名神 甲賀土山ICから15分
新名神 信楽ICから20分
近江鉄道水口石橋駅下車徒歩3分
三本筋の北側筋を東へ
当寺北側 普通車10台

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