水口岡山城主長束正家と妻栄子姫の慰霊碑
慶長5年(1600年)、関が原の合戦に敗れた水口岡山城主長束正家(豊臣氏5奉行の一人)は一旦帰城したがあえなく落城、日野の佐久良谷で自刃しました。正家の正室栄子姫も身重の身で城を脱出、北脇の旧臣山本浅衛門の家に匿われ、ここで男子を出産しましたが、産後の肥立ちが悪くまもなく亡くなりました。旧臣はこれを哀れんでひそかに葬り一個の石を標識として、その霊を慰めました。その後、遺児は仏道に入り、長じて寛永2年(1625)水口大徳寺の三世還誉上人となりました。還誉上人は亡き母栄子姫の菩提を弔うために北脇の地にあった地蔵堂を改築し、栄照寺と号し、大徳寺の末寺とし長束家の香華院としました。なお、現在地に立つ供養の「姫塚」は明治26年、京都在住の一族の花輪氏が建立したものです。
甲賀市水口町北脇
新名神 甲賀土山ICから20分
新名神 甲南ICから20分
JR貴生川駅からはーとバス「柏木巡回」林口バス停下車北へ徒歩5分
柏木公園駐車場使用
徒歩3分
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