家康暗殺計画予定の地
「牛が淵」は関が原合戦の三ヶ月前、慶長5年6月(1600)、上杉討伐の途中にあった家康を暗殺しようとした所です。大坂城を出発した家康は6月18日に石部宿に宿をとりました。そのときに水口城主、長束正家は石部宿の家康を訪ね、鉄砲100挺を献上し、「城外の牛が淵の上に茶室を新築したので明日は昼食を共にしましょう」と申し出ました。ところが、その夜、「茶室は仕掛けがあって岩壁の下の『牛が淵』に落ちるようになっている」という密告があり、家康はあわててその夜、「女輿」に乗り、水口城下を通らず間道を通って土山方面に出て難を逃れたといわれています。その時の密告者が美濃部村の助七という百姓だったので、危機一髪難を逃れた家康はその忠節をよしみとして美濃部村のみ慶長7年以降租税を減免し、助七には自分の「衣冠束帯」と、守り本尊の「十一面観音菩薩像」を与えたといわれています。
当時の野洲川水流は激しく、川上から流れてくる水は、「牛が淵」の巨岩(長さ90メートル幅18メートル)に激突し、渦を巻き「渦が淵」(深さ7メートル)と呼ばれ、後にそれが訛って「牛が淵」といわれるようになりました。「牛が淵」の巨岩からは鈴鹿の連峰や野洲川の眺望ができる景勝の地でしたが、現在は国道のバイパスや護岸工事のためにその面影は失われましたが、石碑によって事件のことが伝えられています。
甲賀市水口町元町
新名神 甲賀土山ICから約15分、甲南ICから約15分
名神 栗東ICから約40分
東名阪 亀山ICから約40分
JR貴生川駅からはーとバス「和野行き」松原町下車徒歩1分
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